愛するさちへ  ママより







いつブログを御覧頂き、誠に有難うございます。
主人に代わりまして、今回のブログは妻の私が書きます。
長文ですが、御覧頂ければ幸いでございます。


5月16日に、買い物に行く道中、痩せ細った猫ちゃんに出会いました。
大変人懐っこいその子を私はとてもほおっておけず、家で保護したいと主人に話しましたが、
我が家には猫3匹、犬1匹居りますので、動物が大好きな主人でも直ぐに返事はもらえませんでした。

それならば実行あるのみと保護のチャンスを伺い、翌週5月23日の火曜日に、主人が釣りから帰る時間を
狙って保護成功です(この日までお世話して下さってた方々にはその旨をお伝えしておきました)。

すぐ二人で体を洗ってあげ、すぐ病院に行きました。2歳くらいの女の子かと思ったら、
10歳以上の男の子でした(去勢されてました)。獣医は『外にずっと居ると生き延びれるか?終の棲み家が
見付かりよかったね』と撫でながら仰ってました。
終の棲み家なんて・・・私は長生きさせるぞ!と思ってました。

初めて会った時に、幸せにしてあげたくて、幸(さち)と私が名付けました。
この人懐こさから、以前飼われていたのは間違い無いと思います。

大変痩せていた為、腎臓病も疑いましたが、我が家に迎える前から(知人の方から)食欲旺盛と伺って
おりましたので、こんなに痩せているのは元飼い主からあまり食事を与えられていなかったのだろう、
これからは徐々に筋肉も付いてくるだろうと思っていました。

家で飼い始めて気付いたのは多飲多尿。当初は食欲旺盛でしたが、5月31日頃からは、あまり食べなく
なりました。

6月1日朝、元気が無かったので、病院で診てもらいましたが、かなり腎臓も悪くなっており、
膀胱炎にもなっているとの事で、点滴と注射を打っていただき、翌朝8時半で予約しましたが、
獣医師の話では、翌朝まで持たないかもしれないと。
食欲はありましたので、腎臓は疑わなかったのですが、やはり高齢猫ですから、悪くなっていたのですね。
(男の子は腎臓病に罹りやすいようです、2年前の4月になくなった武蔵もそうでした)

もっと早く病院で診て頂いていたら、長生きできたのかな・・・?
もしかしたら、元飼い主は痩せ細っていくさちを怖くなり?、放棄したかどうか判りませんが、
飼い主になった以上、最期までお世話すべきです!
人間でも動物でも幸せな人生を送る為に生まれてきます。さちが本当に可哀想でなりません。


その日、主人は仕事しながら、1時間毎に、さちの様子を看てくれていました。
16時頃様子がおかしくなり始めたので店を閉め、付きっきりで看てくれていたそうです。
夕方、私が職場の休憩時に電話すると『今日は、なるべく早く帰って来なよ』と主人。
私も勤務中は先住の子達に溶け込み楽しく、家の中を元気に走り回るさちを想像し、祈っておりました。
私の帰宅時間まで、さちの命が持つかという厳しい状況だったそうです

私は急いで職場をあとにし、遅番の日は21時前には帰宅できたことないのに、
この日は20時50分にはさちの所に居ました。夕飯時だったので主人と交代で見守りました。


さちは何度も姿勢や場所を変え、病と闘っているのがよく判りました。私達のベッドの枕元の出窓に
居た時のさちの鼓動が早くなり、険しい表情でした。私は必死にお祈りしました。さちは自分で床に移り、
その時のさちは表情が穏やかになり、鼓動も少し落ち着いてきた様でした。
この状態を乗り切れば何年も生きられる!そんな確信と希望を持て私は励まし続けました。

少し安心して、友人にさちの回復を応援して頂きたいメールをしてた時、さちが私を見ていました。
意識朦朧としてる中?、悲しい思いさせてしまったか心残りで、さちに申し訳なかったです


夕飯を終えた主人と交代し、私は徹夜で見守ると皆に言っていながら、食事しながら寝てしてしまいました。
そして、夜中の1時半に主人の声がしました。『さちが逝った』と上の階からの主人。私は『(私の居る2階に)行った』と、判断。その結果を信じられなかったんだと思います。食卓の食器片付け、さちの所に行くと、
もう息をしていないさちがいました。
ごめん、さち!!!!!
主人も0時30分頃まではさちを看て居りましたが、前日夕方16時から夕食時以外は付きっ切りだった為に
フっと寝てしまい、さちの最期を看取る事が出来なかった事を後悔しておりました。
さちは私達が寝てる中、多分夜中の1時頃に旅立ちました。途中持ち直した時の様な安らかな表情でした。


保護した当初から、大きなゲージの中にトイレと寝床を置き、その中である程度生活をさせ、
先住犬猫達が慣れてきたら、家の中で自由にさせてあげようと思っていましたが(獣医から1週間の隔離要と
言われており)、こんなに早く亡くなるのでしたら、もっと早く自由にさせてあげたかった。
でも3日間くらいは私達の寝室をウロウロできたよね、さち。
6/1昼前、点滴を終え、帰宅したさちは体力無いのに、3階寝室から1階まで自力で下りて行きました。
3階で暮らして居ましたが、2日前の火曜日には玄関でお世話して下さった方に会ったり、
この家の色々な場所に行けてよかったです。


どの様な状況で飼育放棄したのかはわかりませんが、飼った以上は家族同然ですから、
最期まで責任を持って欲しかったです。

ペットには癒されますが。癒しだけの存在でありません。生き物です、飼い主の子供です!
さちを発見した時は、手作り風の首輪をつけていました。放棄はしたけれど、せめて首輪はしてあげて
おきたかったのでしょうか?ただ、その近所でも、猫を探している人などいなかったみたいです。


6月3日にさちの火葬をを済ませました。金曜日は仕事の固定休日です。
自分の命の幕をひいたのも、9日間一緒に暮らしたさちにはもしかしたら私が休日というのもわかっていた
かも知れません。私の経験上、猫は時をよく知ってるみたいです。
(2年前に亡くなった武蔵は、私の出勤10分前に私の胸の中で亡くなり、私の連れ子の大河は私が
遅番で帰宅する時間に病院で旅立ちました。実家からもらった犬も大病を患っていましたが、亡くなる前日に
気付く異変を見せ、翌日夜散歩で家を出てすぐ倒れ、そのまま病院手術中、主人が見守る中、なくなりました。
私は自宅で懸命に祈りました)。
最期までペットは飼い主に気遣って旅立ちます、感謝してなくなるのでしょうか、
ペットはすごいなと思います。
亡くなったペットは飼い主を決して忘れないそうです


6/3斎場に行く前の30分間、外でさちを可愛がりお世話されて頂いたTさんからお電話を頂き、
『さちはあのまま外に居たら今日まで生きられなかったかも知れない、最期に温かいお部屋で過ごせて
幸せだったと思います』と仰って下さいました。それが大分救いになりました。
Tさんからの花束と、私達からの花束、私からの手紙を棺に入れました。
私は棺のさちを再度抱き、すりすりしてるのをTさんは見て『生きているみたいね』


辛い体調の中、私の仕事からの帰宅を待ち、希望を捨てなかったさち。
検査終了までは隔離していなければならないので、あまり自由行動できなかったですが、1階にも行けましたし、
階段降りる時に先住猫達とすれ違えましたし、ゴン太もさちに優しくしておりました。
だから、穏やかな安らかな顔でした。
きっと苦しまないで旅立ったと思います。


さちの食べ方、可愛かった!毛布をかじって確か喉を鳴らせていました、親を恋しがったのでしょうか
私が3階に行くと、階段上ってる時から、私に鳴いて話して、甘えて?私に安心感を持ち、頼りにして
くれていたのかも知れません。


最後になりましたが、お世話して下さってたOさんTさん、有難うございました。
Oさんはお足がご不自由で以後我が家にはみえませんでしたが、ずっと気にして下さっていらして、
Tさんは、最期の日を含め、3日間会いに来て下さいました。
亡くなる3日前の火曜、Tさんの手の指をあま噛みして甘えてました。我が家に来ても、Tさんと会えてよかったね
猫は、環境が変ったら、人を忘れると聞きますが、さちは、お世話して下さったTさんを覚えていました。

OさんTさんも『お願いですから私達にも費用を負担させて下さい』と仰って下さいました。心より感謝申し上げます。

さち、あなたに会えてよかった!
再会まで暫くかかるけど、天国で、先輩わんちゃん猫ちゃんと毎日楽しく遊んで、待っててね


さち、たったの9日間だったけど、お父さんとママの子になってくれて有難う!


安らかに、さち。

*私達には子供が居りませんので、いずれ、ペットと一緒に樹木葬と、主人は考えてるそうです。なので、
お墓でも天国でも一緒です
*お骨あげの時、先ずは大きなお骨を二人で掴み、壷に入れ、次に係の方が『代表の方が手で頭部のお骨を
お入れ下さい』、主人が壷に入れました。そして、残りのお骨を『お触り下さい、ご供養になります』。
私は全部のお骨を触りました。